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2005年 04月 01日
いよいよ入隊当日(昭和17年10月1日)の朝が来た。
不思議に当日の朝の記憶が、はなはだ不確かで旅館から営門の前まで、引率されて行ったのか、自分勝手に行ったのかもはっきりしない。 入隊する部隊は姫路城北練兵場(今は姫路競馬場)の道路をへだててすぐ北側(現在は自衛隊姫路駐屯部隊)にある中部第54部隊(正式名は輜重兵第54連隊)の前に集まり、時間が来て中隊名を書いた立て札の前に整列した。私は植田隊(第3中隊)。 係りの下士官が氏名を呼んで、返事の声の小さい者には「声が小さい!もっと大きな声で返事をしろ」とはや気合を入れていた。全員揃っているのを確認して、その下士官の引率で営門を入っていった。 私達第3中隊要員は、伝統のある古い頑丈な兵舎ではなく、バラックに毛の生えた様な粗末な新兵舎の前に整列した。ここで改めて4ヶ班に分けられ、私は第1班で、同班の10名ほどと中に入ってみると、寝台が並び頭の方には毛布が整然とたたまれていた。また整頓棚という棚があり自分の寝台の幅だけの範囲に、向かって右に私物品をいれる手箱という木製の箱が置いてあり、前面には各自の氏名を書いた名札が貼られていた。その左には軍衣袴、襦袢、袴下等衣類がきれいにたたまれ、積み重ねられていた。棚の下には釘が打ってあり、これには軍靴、水筒、衣類補修用具袋等が一定の場所に掛けられていた。 軍隊ではあらゆることが規定で定められており、すべてそれに従っていた。 これらの準備は古兵達が、新入りの初年兵のために前から準備していてくれたものである。 今まで着ていた服を脱いで、軍服に着替えさせられたが、自分の整頓棚に置かれている衣類がすぐに体にピッタリ合う筈はなく、お互いに自分に合いそうなのを交換し合って一応まがりなりにも軍服に着替えた。それでも服とか靴が自分の体に合っていない者がいて、これを係りの古兵にいうと「体を服に合わせろ」といってとりあってくれない。 これが軍隊の理不尽さを痛感させられた第1号である。この状態で2、3日するとさすがに班長もみかねて合いそうな服を持ってきて交換させていた。 今まで着ていた衣類をまとめて風呂敷に包み、返送先の住所をかいた紙片を入れて係りに渡すと、これでとうとう兵隊になったのかという気持ちになった。 私達のときは、入隊後1週間ほどは、古兵達の居る兵舎には入らず、初年兵だけが新兵舎で生活した。従ってこの1週間ほどは直接、接するのは班長のF軍曹と教育助手のM兵長だけで、古兵のいじめも、演習もなく、ただこまかい軍隊での習慣、作法等の教育を受けた。 この間は、懇切丁寧に説明してくれて、少しづつ軍隊生活に慣れさせる様にしていた。 初めての夜は、寝台に巣食っていた、血に飢えた南京虫の襲撃にあい、ほとんどの者が寝られなかった。そのため翌日は兵舎の窓とか、戸の隙間に目張りをしてなかで、催涙ガスを焚いて南京虫退治をした。しかしこれ位では退治できず、寝台を外に持ち出し、各自、自分の寝台の南京虫を縫い針で串刺しにしこれを糸に通して比べあったりした。 この1週間はあとから思うと極楽であった。 1週間が過ぎると古兵達のいる兵舎に入れられ、古兵達の間にはさまれて、正に地獄の内務班生活がはじまった。 [蛇足] 軍隊用語の概略 軍の組織(時代、平時、戦時、により編成は変更された。) 大きい方から 方面軍→→→師団→→→旅団→→→連隊→→→大隊→→→中隊→→→小隊→→→分隊 但し連隊以下は兵科によって多少の違いがある。 階級 上級の方から 大将→→中将→→少将→→大佐→→中佐→→少佐→→大尉→→中尉→→少尉 以上が将校(士官) (少尉)→→准尉→→曹長→→軍曹→→伍長 准尉は准士官(昔は特務曹長と呼ばれていた) 曹長以下伍長までが下士官 (伍長)→→兵長→→上等兵→→一等兵→→二等兵 兵長以下が兵卒 兵長は昔は伍長勤務上等兵(略して伍勤上等兵)と呼ばれていた 初年兵・・・・・新しく入隊した1年未満の新兵 二年兵・・・・・入隊後2年目 三年兵・・・・・入隊後3年目 入隊後2年以上のものを古年次兵(古兵) 陸軍では上級の者には殿を付けて呼んだ OO少尉殿、OO上等兵殿など、ただし二等兵が一等兵を呼ぶときは絶対にOO一等兵殿とはいはないでOO古兵殿と呼ぶ。 私の同年兵でついOO一等兵殿と言って相手から上靴(革製のスリッパ)でビンタをとられ、歯は折れるは、口は腫れ上がって食事も取れなくなった者がいた。 ビンタをとられてこの状態になるのを「変形した」といっていた。 内務班の先任下士官がその班の長となり班長と呼ばれていたが、下士官の場合班の長でない者に対してもOO伍長殿などといはずにOO班長殿という場合の方が多かった。 文中軍隊用語で説明不足が多々あると思いますが質問があればコメントして下さい。 第3話終わり 続く
by konkon11424
| 2005-04-01 18:17
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