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2006年 09月 29日
物資の輸送では車列を組んでの輸送にくらべて、各車が適当な間隔で単独行動をするほうが能率が良い。治安の良好な地域での輸送は各車の単独行動(単車行動)が多かった。
昭和18年の夏頃「北支那自動車教育隊」の下士官候補者隊の教育が終わり、我々甲種幹部候補生隊だけになったので「北支那自動車教育隊」は解散し、我々は「保定幹部候補生隊」に配属を変えられた。しかし我々は駐屯地はもとの営舎で、逆に馬部隊が保定から北京へ移動して来ることになった。 当時は北京の西側を、北京駅から北西方の南口、八達嶺方面へ行く鉄道があり、我々の営舎から十数㎞のところに駅があった。(駅名は西直門駅だったと思うが不確かである)馬部隊は保定からこの駅まで列車に乗り輸送されてくる。そのうちの部隊共用の物資の輸送を我々自動車隊に命じられた。始め営舎から駅まで区隊長の指示で車列を組んで行動し、駅では積載を終えた車から順次出発して行く。営舎で荷降ろしをすると直ちに駅へ引き返す。道は、はじめ車列を組んで通った轍のあとが残っているので迷うことはなかった。又車には車長1、運転者1、助手2の四名(皆同期生)だけで行動するので解放された気分になり楽しい行動であった。 この道路が荒れ果てたままの「円明園」の前を通っていたことを憶えている。 「円明園」・・・・・北京の北西郊にあった清朝の離宮 1860年英仏連合軍の北京占領に際して破壊され廃墟と化した。 現在遺跡公園がある。 広辞苑 第14話 終わり
by konkon11424
| 2006-09-29 00:37
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